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何億分の一の奇跡というパラレル。
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  • 05/05/14:26

02.11.01:03

ベンジャミン・バトン―数奇な人生―をみたことについて



なんだか人生についてを感じた時間だった。
人の死のことを想った。

僕が考えるのもどうかなって思うかな
こういうのは、子供があまり感じることでもないからね、僕はまだ16歳。人生の四分の一すら生きていないのだけど。

人は普通、年をとることが恐い、それは単に死へという概念に直結しているからだとも思う
そして老いることに共なう外見の衰えや大切な人々との別れ、これが大低の理由のはず
今の人々達って大部分が多分、“若い方がいい”と考えているもの。
そりゃあそう、何でもできる。それに人は“きれい”な方がいいと思ってる、大多数の人がそうして若さにしがみつこうと逆らっているけど。

だけど、結局人は老いる。それは必然性
誰にも変えられないことだ。
死ぬことだって。でも多くの人は、その必然からなんとか逃れる道はないかともがきながら日々を送っている。変わりたくないんだ。変わりたくないけど。

変わってしまう。いつかはなくなってしまう。そのことが恐いんだ
失うのが。
僕だって恐い。勿論恐い。不意に考えたって、泣き出したくもなりそうだ(泣かないけど)。失って初めて、その大切さは分かるものだから。

だからその前に、僕らは気づいておくべきなんだ、自分が誰かを、そして何かを、ずっと手元に置いておくことはできないんだって。
僕らは知っていなきゃ、出逢った人々と、いつか必ず別れることを、

今の僕や友人、クラスメイト、若い人間。これらの人々はまだ自分が死ぬだなんて思ってもいない。
あるのは人生をかけて過ごす、いまだ膨大な時間だ

ある人が言ってた、
生まれた時と死ぬのは同じなんだ、
はじめがあって、終わりがある。すべてはそれから始まるんだ。偉大でもちっぽけでも何でもない

人生は80年で、僕は16歳。こんな年の人が言えることでもないけど。
他人がどう思うが“死”そのものは実に淡々としている、
僕は一回、本当に死ぬかと感じたことがあります。でもね、死ってのは
何て簡単なんだろう
何て単純なんだろう
そんなことくらいにか僕は思わないです、思わなかった。




僕はまだ生きる機会を持ってる。人は早くに理解をしておくことがあるんだ
変わらないものなんてない。失くせない、見失ってはいけないことがあるんだって。自分のそばにそういうものがあるのは、限られた時間だけってこと。
それを手放すことに慣れなければならないと知っておくんだって。


それと最後にもう一つ
人生は素晴らしいってこと。





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